これからガツガツ更新していこうと宣言しといてこの放置っぷり。目に余る行為。その刹那、私生活ではとてもバタバタしていたせいで更新する気力は元より、一時は音も映像もない世界にいた。

こないだ久しぶりに観た映画は「フライトプラン」と「シャッフル」というもう映画好きやめたくなるようなもの。自分で借りた訳ではなく、自分だったら死んでも観なかっただろうから感謝カンゲキ。

ということで、大分自分の環境、精神が落ち着きを取り戻しつつあるので、どこかよそでブログでも始めようと思います。今までどうもありがとうございました。

これだからマスゴミは

日本代表23人のメンバーが正式決定した。ってぇことでまぁ、各メディアがこぞって98年のカズ、02年の高原、俊輔のように可哀相な人をクローズアップしようとがんばっちゃってた訳だけども、今回は久保って事になるのだろうか。大久保とか鈴木とかの名前が全く出てこなかった事が切なかったけど・・・。


日本人のこういうとこって本当に嫌だねぇ。可哀相とか思うの好きだもんねぇ。それにしてもサッカーのサの字も知らないようなアホなアナウンサーがアホな質問しまくるしまくる。


フジの安藤さんまでもが、巻にアホなことばっかたどたどしく聞くもんだから死ねばいいのになぁって思っちゃった。古館ステーションの古館のう〜んといやぁな意味で唸らされる珠玉のコメント、質問の数々をマタドールのようにいなす大人になった中田ヒデに感心したわ。アホマスコミはもう黙ってトーゴ代表特集でもしてりゃいいのに。


久保が選ばれなくて残念は残念だけど致し方ないよなぁ。チェコ戦前後の久保は正しく完全無欠の点取り屋としてFWの軸に据えられて至極当然といった感じだったけれども去年、今年のドラゴンを見るともう哀しくてねぇ。


松井なんか呼ばれて当然の活躍を(3得点、8アシスト)リーグアンでしたのに、松井をA代表に!といった声を聞こえていないフリをし続けたジーコ監督は、代表戦に召集しても大事な試合には全く呼ばなかったし。


ジーコって自由な戦術や選手の自主性を重んじた攻撃的サッカーを掲げていたはずなのに、いつからか規律やら組織が前面に出てきて、今や自由と組織の中途半端さにがんじがらめになっている気がする。松井の創造性溢れるプレイや、パス。唯一世界に通用する対人へのドリブルが無いのはこれから先、どれだけ痛い思いをすることか・・。個人技主体という面で考えれば絶対に必要な力だっただけに残念。


「松井は素晴らしいが、松井のようなタイプの選手はMFに沢山居たので今回は選出を見送った・・」といった旨のジーコのコメントがあったが松井タイプはいねぇよ!ハゲ!CMFばっかでどうすんだよタコ!そりゃぁ松井は今の戦術にそぐわないSH、WGだけれども嘘はやめてくれ嘘は。スタメンすら可能性の薄い松井のためだけに戦術変更なんてする訳ないし選ばなかったのは賢い選択かもしれない。


悲観的考えしか浮かばないままに本大会迎えちゃいそうだけれども決勝トーナメントに行けるだけで殊勲ものだし気をわず今の日本のサッカーのレベルを各国に知らしめて欲しいなぁ。

「タナカヒロシのすべて」

鳥肌実が怪演と言うよりも好演していた。オフビートで進んでいく日常を過ごすタナカヒロシ。オミクジの大凶を引いてしまったが故に彼の身に、周りに様々な不幸が起きる。


今まで何事にも受身、他者に興味が持てない彼だったが不幸のドン底に落とされてみて、はたと気付く。今の自分の周りには何もないのだと。


趣味もなければ友人も家族も居らず恋人も居ない。なんにもない。そう気付いてからのタナカヒロシはどこか格好いい。以前との違いも微々たるものではあるものの、彼の中では激動の人生を送り、変化した故にラストシーンでの行動に出たのだ。


大事なものを大事だと思えるようになった彼の目は力強く佇まいも、どこか気持ち悪さを帯びながらも凛としている。退屈な日常、それでも失ってみると幸福な日常だったのだなぁ、そして例え周りのものが全てなくなったとしてもどうにかなる、やり直せるんだなぁ。なんてことをタナカヒロシが身をもって教えてくれた。まさにタナカヒロシのすべて

「Black Rain From The Bombing」

スウェーデンの4人組バンドAerial。LINUSさんとこで大分前に買ったのだけれども、買ってからというものずっと飽きずに聴き続けてる。


1曲目のサンプリングされたサザエさんの音声にはド肝を違った意味で抜かれたけど。「これあけてー」とかタラちゃんの声が小さく聞こえるし。


流麗なアルペジオ、硬質で鋭利でノイジーな爆音ギター、どこかアンニュイな雰囲気のけだるいボーカルなどが一つの曲の中で複雑に展開し、数曲が合わさって一つの曲になっているんだよなぁ。


美しいインストロックと90'sオルタナの香り漂う硬質なギターロックと、ポストロック的な展開とがあわさった感じ。LINUSさんが売り出して見事サマソニ出演の決まるほど人気の出た65days〜みたいにAerialも来日してくれないかなぁ。

http://www.aerial.se/
http://www.nomethod.se/main.php?page=downloads

「僕の村は戦場だった」

僕の村は戦場だった [DVD]

僕の村は戦場だった [DVD]

タルコフスキーは何やらよくわからないモノを撮る映画監督だなぁという
イメージを良い意味で裏切ってくれた作品。
戦争により母親は行方不明、父親は戦死、自らの夢は両親を自分から奪い去った
ドイツ軍への復讐のみ。現在の少年兵としての氷のような彼の眼差しと
回想シーンの中のまるで天使のような笑顔の少年と在りし日の母、妹。
その回想シーンの柔らかな光と、美しい水。あまりに美しく幻想的すぎて
到底手にすることのできない、理想郷かの如く劇中では描かれている。
しかしそれは主人公の内的世界では実際に、過去、存在していた時間、風景、空気
だった訳で。まだ年端もいかない少年からすればそれはまさに平和で穏やかな
優しい時間だったに違いない。けれども、戦争によってそれらすべてを奪い去られて
しまった。現在と過去のコントラストに胸を打たれ、悲哀だとか無常だとか
そんなことを思うことすら陳腐、あぁなんて凄い映画なのだろう、あぁ人間の業の深さよ
命の儚さよ、嗚呼、嗚呼・・・なんてことを思うしかない訳で。
なんであんな目ができるのだろう。
タルコフさんは難解な世界観や、映像表現によって映画通御用達の
"観ていてとても眠くなる"監督さんのようですが
難しい映画、難解な映画といった分類が大嫌いなので普通に観ればよいし
それぞれ受けての解釈に委ねる部分が多くて結構と思う。
感覚、イメージで観る(視るといってもよい)映画というのはよくあるし。
とりあえずこの映画
映像手法だけを見ても到底、長編処女作を撮った監督が撮るものではない。
あまりに神がかりすぎている。

ブログって怖いね

ブログというツールがこれだけ世の中に浸透して今や老若男女問わず、多少の事実と妄言によってブログは今この瞬間も、世界のどこかで更新されていることだろう。


最近は、事件の被害者はこれこれこういった内容の文章を自身のブログにて書いていた〜みたいな報道やら、そのブログの文面やらがテレビや新聞などで報じられているが、う〜ん果たしてそれをメディアによって大衆に知らしめて良いのだろうかとも思う。


勿論、ネットという広大な世界にて公開している(公開していた)のだからどんな風な形であれ二次利用しても良いというのはわかる。自分のノートに日記をつけていたというのとは訳が違う。


大体において自分の胸の内を綴った文章なんてものは、自分で書いてみて初めてはたと気付かされる事も往々にして多いのであって、思い込みっつうやつか。思ってもないことを感情にまかせて書いた結果、ああやっぱそうか自分はこうこうこういう考えをしていたんだ、そうかそうか、なるほど。って事が多いように思う。


「あぁ死にたいなぁ」なんて言葉にしてみたらギョッとするけれども、人間誰しもが一度は頭の中をよぎったりしたことはあると思う。それを文字にして他人に公開するもんだから、そんな言葉を読んだ周りの人々は、自分の知人が死にたいだのなんだの言っていたら一応は心配の言葉をかけてみたりはするだろう。それによって、また書いた本人もより一層その気持ちを強くしたり。本当に心の底から、声にならない声を書き綴って一般に公開する人も居るだろうが、公開するという事は発信するという事だし、結局は生やら自己表現やら、自己愛でもいいや、そのようなところからくるのだから"生きたい"のだろうと思う。


ほんとに死にたい人は、四の五の言う前に大体は死んでしまうように思う。悲しいけれども。


って要点がだんだんとぼやけてしまってきたけれども、何か自分の内なるものを書き綴って自分にいざ何か問題が起こった場合に(加害者であれ被害者であれ)これこれこういうこと書いとったぞ、ほれみぃ!と世間様に晒されて困るような事は書かないに越したこたぁないね、なんだかんだでプライバシーっちゅうもんは守られるべきやねって事をここ1,2年の間に起こった事件でブログがチラホラ登場してきたことによって思ったし、感情に身を任せた文章はなるべくはこのような知らない誰かに見られる媒体に書き綴ることは(みられて都合悪いことは)控えようと思い立った。けれども、大体の場合知らない誰かがどんなことを考えていようと書いていようと無関心を決め込むだろうし興味もないように思う。ちょうどこの文章を不運にも読んでしまったユー達みたいにね。



いつだったか一人で晩飯を外食にて済ましていたところ、互いのブログの話題について語っていたおじ様方を見たときに「こんな世代にまで浸透しているのか」と驚かされた。

「ブロークンフラワーズ」

を観てきた。
ジム・ジャームッシュが好きな人は問答無用で好きになれる
作品だったと思う。どの映画を撮っても作品の中の
空気、間、登場人物に良い意味で一貫性があるから。
市場やニーズによって撮る映画、題材を変えるような
監督も居れば、ジャームッシュのように執拗なまでに
ミクロな視点から独自の世界観を描写するような
映画監督も居る。インディペンデントスピリッツ
溢れるこの人の映画が、ジャームッシュ
なぜこれほどまでに受け入れられたのかは「cut」や
「switch」のようなエセ文化人気取りなオサレ雑誌に
さんざん取り上げられてるせいだろうと思う。
何を隠そうそんな風な雑誌にバンバン特集されてたせいも
あってジャームッシュを観る前から若干苦手意識が
あった。

そんな理由や、封切したなかりで1日とあってか
劇場はとても込んでいた。んでもってやっぱり
ジャームッシュの撮る映画だなぁとしか言えないような
映画で。途中退席して帰ってこなくなった隣の女子高生
は一体何を思って帰ったのやら。
大体はこんなとこだろう。
「きたねぇ親父が昔は大層モテてたらしぃけどぉー
そんなんしらないしぃー、っつうーか話のオチもう
わかっちゃったしぃ、誰が手紙書いたかわかっちゃったしぃ
っつーかだからなにってかんじでぇ?家帰ってマジ
テトリスでもやろうってかんじでぇー。ふいんきだしぃー。
っつーかふんいきだからウチなに間違えてんの、
まじうけるー。・・帰ろ。帰ってウチの部屋に張ってある
カトゥーンのTOSHIKIのポスターにただいまって言うんだぁー。」

まぁ、共に寝た女子高生は数知れず(脳内)の僕の妄想だから大体当たっていると思いますし事実、女子高生の間では
今最もテトリスがブームなようです(俺調べ)。初期ゲームボーイのね。TOSHIKIがカトゥーンにいるかは知りません。ググってみて居るかどうか教えてください。

終了後、あまりしっくりこなかった感じのカップルやら
男性二人組の言葉がちらほら耳に入った。
「寝ちゃった」とか「単館系のノリでよくわかんなかった」
みたいな言葉が結構、飛び交ってた。
あぁ一人で来て良かった。誰かと観にいっていたら
万が一、同行者が「寝ちゃった」とか
「んで、結局手紙は誰が書いたわけ?息子はだぁれ?」
なんてぬかそうもんなら一気にテンションはどん底に落ちて
あぁだから人を選びそうな映画は一人で来るもんだよなぁ
ぶつぶつ・・と心の中で呟いていたに違いない。

いや、だからといって難解でもなんでもなく。
退屈とか緩慢とかだからどうしたの?それでこの映画は
何が言いたいの?あのシーンはいったいうんぬん・・・
そんなような人や、映画に明確な答え、又はヒントなどを
ちゃんと受け手にわかるように配置してくれるような
直球を投げないだけなんだよなぁ。空気感や、間の悪さ
何とも言えないおかしなシーンの数々、なのに
とんでもなく、死にたくなるほど切ない。
そんなような映像を取れる現代においては稀有な
監督なんだろうなとちっとも映画のなんたるかを
わかってない僕が言ってみました。

こんな僕が、ほんとは退屈なくせに楽しんだフリしてる
えせ映画好き気取りだったら、もう同情の余地もないなぁ。
あと「cut」や「switch」を読んでる人に対して一切の
悪意も他意もございません。キネ旬読んでようが映画に
大して講釈たれられる人間だろうが、映画全く観ない
人間だろうが、その作品を前にしてどう感じたかが最も
重要だと思うので。ただメディア、マスメディアの
映画の扱い方が両極端というか、もっと丁寧に
映画を扱って欲しいと思う事が前述の雑誌などを
読むと思ったり思わなかったり。

さりげなくPG-12だったんだけど、その理由は
あのシーンのせいだったんだなぁ。
あそこ、本当はすんごい吹き出したかったんだけども
館内シーンとしてるし(女性は特に引いたかも)
あぁこういう時映画館でしらねぇやつと観るとうぜぇ
んだよなまったくこいつら全員消え・・・
とかそういうよーなこと思いますね。
隣のおっちゃんは色んな場面で
めっちゃ一人で爆笑してたけど。うらやましかったけど。

はぁ。
ビル・マーレイのあの哀愁、ダサさ、刹那さが
眼に焼きついて離れない。
アバウト・シュミット」を観た後のような
すんごい切なく愛らしい感情に包まれてしまった。
老成した後、また観てみたらきっと僕は泣き崩れてしまう
に違いない。